キャッシングという考え方

キャッシングという考え方

通常、幣原モラトリアムとして戦後あったことは知られていることだが、現況において環状状態の金融を停止することも、もはや不可能となりつつある。社会は回転し、経済は快況で、人々が満足する。

 

この状況をつくるためには、自分ひとりだけの力では足りないというのはもはや当たり前だ。人々の脳は回転し、人類は発展も遂げていかなくてはならないだろう。もはや当たり前の時代であり、人は、社会は、人として成り立つ。そして、これからの時へと向かっていくのだろう。私たちは継ぎ手である。

 

創出せねば確かにいけないのかもしれない。しかし、創出はすでに行われてしまっている、というか、創出に燃えた世代も確かにあったはずだ。

 

夢を見ることは大切だ。けれども、それなら夢なら見続けた方がいいではないか。

 

人を育てることが急務だ。相手の立場になった行動やその人をどれだけ見抜けるかにもその人の格が見え隠れする。嫌われてしまうのでは、という不安なのだろうか。

 

私たちは継ぎ手である。継ぎ手は、重い物や先代からのお預かり物をいかにして次代へ残し、社会的な意義・動機付けへとつなげていくのか、地球は回転し、人類は宇宙で滞在することすらできるようになっている。

 

であるから、当然、おカネも回っている。誰かが1円をスーパーへ忘れてしまったとしても、次に訪れた客がその1円を手に入れる。天下はカネで回るもの。しかし、おカネで買えないものはなんだろうか?

 

人と人である。気持ち、心のつながり、礼、偽り、色々な要素でおカネも色々な方向へと流れていく。今、それはこの瞬間もなのだろう。それをどう受け取るかの問題ではありそうだ。